【連載】舞台は世界 ! サーブコープの歩み 第3回 アジアでまだまだ続くサーブコープの奮闘
前回の記事に引き続き、サーブコープ進出先のアジア各国で遭遇した事件、そして当時のサーブコープの様子を歴史的背景を添えてご紹介します。今回のハプニングの舞台はスリランカとミャンマー。先日話題となったアウンサンスーチーさんの話題にも関連がありますので、どうぞお楽しみください !
スリランカ拠点―激化する内戦で入居ビルが爆破
スリランカでは、アルフレッド・G・モーフォレッジの息子であるテイン・モーフォレッジが拠点運営を管理していましたが、彼の任期中の1997年、サーブコープのオフィスが入居する世界貿易センタービルがテロ団体LTTE(タミル・イーラム解放のトラ)により爆破されるという事件が起こりました。この被害を受け、サーブコープはサービスオフィスの運営を停止せざるを得なくなり、スリランカ拠点は閉鎖に追い込まれました。(写真は現在の世界貿易センタービル。 提供:Bernard Gagnon on Wikimedia)
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ミャンマー拠点―政治不安による情勢悪化でやむなく撤去
ビルマ(現ミャンマー)では、アルフレッド・G・モーフォレッジの息子、マーカス・モーフォレッジが現地に送られ、ミャンマー初のサービスオフィスを運営開始していました。サーブコープは当時国内で絶大な支持を得ていたアウンサンスーチーの当選を祝福していましたが、その後彼女は軍部により投獄されていまいます。さらに国内情勢が悪化する中、サーブコープはミャンマーからの撤退を余儀なくされてしまいました。(写真提供:englishpen)
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近年まで長引くアジアの諸問題ですが、各地でサーブコープが直接対面していたことを考えると、企業が海外に進出し、グローバル企業として拠点を展開することがいかに大変なことかが伝わってきます。また、これらの体験が糧となって現在のサーブコープの強さにつながっていることも納得です。さて、いよいよこのシリーズのラストとなる次回では、直近の2010年に起きたバンコクでの事件とともに、サーブコープの現在の姿をご紹介します。それでは次回記事「サーブコープの現在」をどうぞご期待下さい !
『舞台は世界 ! サーブコープの歩み』
3. 「アジアでまだまだ続くサーブコープの奮闘」
4. 「サーブコープの現在」
歴史的背景:テロ団体LTTE、世界貿易センターを爆破(1997年)
タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)はゲリラ戦闘を繰り返すスリランカのテロ組織。少数派民タミル人の中でも、独立国家を主張する過激派から成る(「イーラム」はタミル語で「母国」の意味)。設立の経緯:1947年の議会選挙以降、公民権の略奪など政府側からのタミル人差別が顕在化。1975年、「大学入学の標準化政策」に反抗したタミル過激派の青年プラバカランが市長を暗殺、LTTEを結成して指導者となり、政府と抗争を繰り返す。1997年、コロンボの世界貿易センターの裏手にあるガラダリ・ホテルの駐車場で、爆弾を積んだタンクローリーによる自爆テロを実行。直後に銃撃戦が発生し、18人が死亡、100人以上が負傷という大惨事に。以降組織はテロ行為を繰り返すが、2009年5月17日LTTEが敗北宣言をしたことにより、長年に渡る戦いは公式に終結した。
アウンサンスーチーは、ビルマのイギリスからの連邦からの独立目前に暗殺されたアウンサン将軍の娘で、ミャンマーの民主化運動の指導者。英国で政治学や哲学、経済学を学び、ニューヨークの国際連合書記官補→ブータン外務省研究員→京都大学の研究員等を経て故郷ミャンマーに戻る。国内では1962年のクーデター以降政権を握っていたネ・ウィン将軍の辞任を機に民主化運動が活発化していた。そのさなかで彼女は民主主義政府を要求する演説をし、後には国民民主連盟書記長に就任。これに対抗した軍は勢力を巻き返し、彼女を中心とする民主化運動を弾圧。1990年の総選挙では軍により自宅軟禁される中アウンサンスーチーの党が圧勝したにもかかわらず、政府はこれを無視。以来国軍は彼女に政権を握らせまいと軟禁と解放を繰り返す。先日2010年11月13日、彼女は7年ぶりに自宅軟禁から解放されて自由の身となった。