【連載】舞台は世界 ! サーブコープの歩み 第2回 一筋縄ではいかないアジア進出
前回の記事に引き続き、今回はサーブコープ初の海外進出当時のエピソード、そして進出先のアジア各国でサーブコープが直面した事件を歴史的背景を添えてご紹介していきます。今回のハプニングの舞台は1990年代のインドネシア。どうぞお楽しみください !
サーブコープ海外進出
サーブコープは、サービスオフィスを提供する企業としては、初めて海外進出をした企業でもありました。オーストラリア国内のブリスベン、パースと展開したその次は、シンガポールでオフィス拠点を設立。アジアで初のサービスオフィス運営企業となりました(現在ではこの地域のみでも1000以上のサービスオフィスが点在しています)。サーブコープはその後すぐにバンコク、マレーシア、インドネシアに進出していきました。 (写真:バンコク拠点)
こうして故郷のオーストラリアから順調にアジア進出を遂げたサーブコープですが、情勢はいつでも安定しているわけではないのが世の常です。アジアのあちこちに拠点を展開する中で、思わぬ災難が降りかかることもありました。それぞれの歴史的背景を振り返りながら、当時のサーブコープの体験をご紹介していきます !
インドネシア拠点―アジア通貨危機のさなか暴動に巻き込まれ…
インドネシアにも拠点を設置していたサーブコープ。1998年、インドネシア国内ではアジア通貨危機の打撃を受け、インフレーションが起こります。急激な食品価格上昇に対応できない国民はあちこちで政府に対する暴動を起こしました。この中で、サーブコープのスタッフが入居していたアパートが放火の被害に遭い、サーブコープのパートナーが倒産し、さらに2人のマネージャーが町の外への避難を余儀なくされるという事態が起こりました。しかし、なんとそのうちの1人は現在、東南アジア全域を管轄するジェネラルマネージャーとして活躍中です。サーブコープチームにとって本当に身近なスタッフが、壮絶な災難を乗り越えてきているんですね。
(写真提供:extractor2000)
⇒詳しい歴史を知りたい方はこちらへどうぞ。
次回は引き続き、サーブコープがアジア拠点で遭遇していくさらなる事件をご紹介します。それでは、次回記事「アジアでまだまだ続くサーブコープの奮闘」をどうぞご期待下さい !
『舞台は世界 ! サーブコープの歩み』
2. 「一筋縄ではいかないアジア進出」
4. 「サーブコープの現在」
タイを中心とした東南アジア諸国の急激な通貨下落。ASEAN諸国に大きな経済的打撃を与えた。経緯:中国市場の労働力の需要が高まる→それまで良好だった東南アジア経済が徐々に低迷。さらに、当時東南アジア通貨はドルとの固定相場制。アメリカ政府による「強いドル政策」(市場介入によるドル引上げ)実施によりアジアの通貨価値が連動して上昇→東南アジア諸国の輸出状況はさらに低迷。諸国に投資していた投資家はこの経済状況と上昇した通貨のアンバランスさに着目し、アジア通貨をどんどん売却(過大評価されたアジア通貨を大量に売り、安くなったところを買い戻すことで利益が発生)。変動相場制を導入せざるを得くなったアジアでは、通貨が急激に下落するという事態に。