ノマドやリモートワーカーなら小さなチャンスを生かしてナンボ?名経営者の言葉に学ぶ「ビジネスチャンス」のつかみ方
マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ氏がコンピュータビジネスの世界に入った時のエピソードを知っていますか?
1975年、MITSというコンピュータメーカーが「アルテア8800」を発売しました。当時、ハーバード大学に通っていたゲイツ氏はいきなりMITSに電話をかけ、「BASICというソフトウェアの開発に成功したから買ってくれないか」と売り込んだのです。
実は、この時、「BASIC」というソフトは影も形もなく、ただゲイツ氏の頭の中に構想があっただけでした。しかも、「アルテア8800」は発売されたばかりで、大学生のゲイツ氏には手に入れる術すらありませんでした。しかし、ゲイツ氏は、高校時代の友人のポール・アレン氏と共に大学のコンピュータを使って、わずか8週間でBASICを開発し、MITSの幹部の前で動かすことに成功したのです。
この「BASIC」の売り込みの成功をきっかけに、ゲイツ氏は、アレン氏とマイクロソフト社を設立しました。
後にビル・ゲイツ氏は、こんなことを言っています。
「自分が出したアイデアを、少なくとも1回は人に笑われるようでなければ、独創的な発想とはいえない」
まさに独創的な形でビジネスのスタートを切ったゲイツ氏だからこそ、こうした言葉が出てくるのでしょう。名を残すような経営者は、様々な気付きを与えるくれる言葉を残しています。
今回は、名経営者の言葉の中から、ビジネスチャンスのつかみ方のヒントを見出してみたいと思います。小さなビジネスの芽をいかに育てていくのかに関する言葉は、企業勤めのビジネスパーソンはもちろん、ノマド、リモートワーカーまでさまざまの人の参考になるはずです。
■「実行する勇気」の大切さ
「アイデアの良い人は世の中にたくさんいるが、良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない」
これは、ソニーの創業者のひとり、盛田昭夫氏の言葉。盛田氏は、技術者でありながら売り込みのために自ら渡米し、無名のブランド「SONY」のトランジスタラジオをアメリカ市場で爆発的にヒットさせた人物です。1974年に社長に就任してからも世界を歩き、営業マンとしてソニーの売り込みを続けました。そうしたキャリアを持つ人の言葉だけに、「実行する勇気」の大切さの訴えは、一層の重みが増します。
「デメリットのあるところにこそ、ビジネスチャンスがある」
1976年、大和運輸(現在のヤマト運輸)が大企業との契約を全て解消し個人向けの宅配事業に乗り出すことを決めたとき、当時の社長、小倉昌男氏はこう言い切ったのです。この言葉は、人が近づこうとしない領域にこそ、実は大きなビジネスチャンスが眠っているということを教えてくれています。
■準備を怠っていなかった者だけが、チャンスをものにできる
「機会は魚群と同じだ。はまったからといって網をつくろうとするのでは間に合わぬ」
「大きなチャンスが姿を現わすときはきっと来る。そのとき、それを利用できる準備ができていなければならない」
上は三菱財閥の創設者、岩崎弥太郎氏、下はウォルマートの創業者、サム・ウォルトン氏が語ったものです。常日頃からの準備を怠っていなかった者だけがチャンスをものにできるのだという教えは、洋の東西を問わず共通の考え方のようです。
岩崎弥太郎氏は、土佐藩の地下(じげ)浪人家の生まれながら、幼い頃から利発なことで知られ、21歳で江戸に出て学ぶ機会を得ます。その後、藩吏の一員として長崎に赴任するのですが、最初の役職は使い走り同然の「下役」。それでも、そのチャンスを見事に生かし、貿易について学ぶだけでなく、グラバーや坂本龍馬といった著名人と友好を結び、日本一の海運業者になる礎を築きあげるのです。
一方サム・ウォルトン氏は、周囲の心配をよそに人口7,000人の町で「ベン・フランクリン」というチェーン店を開き、成功を収めていました。そして、次に、「ベン・フランクリン」の経営者に“ディスカウントストアをチェーン展開してはどうか”という提案を行いますが、拒否されてしまいます。そこで、ウォルトン氏は、弟と二人で「ウォルマート・ディスカウント・シティ(通称、ウォルマート)」を開き、全米一の小売業にまで上りつめてゆくのです。ベン・フランクリン社に提案を拒否された時に、自力でディスカウントストアの経営をする準備ができていなかったとしたら、今のウォルマートはなかったことでしょう。
いかがでしたか?経営者の言葉から何を読み取り、どう生かすのか。それは、あなたのビジネスパーソンとしてのマインドセットにかかっています。
※参照元
『心に響く名経営者の言葉』ビジネス哲学研究会・編著(PHP文庫)